これは20年以上前からいわれていることですが、近代西洋医学の分析的な手法が行きすぎて、病気と体をトータルで診ることが出来なくなりました。この点は間違いなく医療業界で認識されているはずです。残念ながら、科学的技術が医療分野だけに限っても日々すさまじい速度で進歩し続ける為か、引きずられるかのように専門化が進み、「専門の専門家」ばかりが増えているように思います。患者さんと雑談していて「あちゃー」と思うのは、受診した先のお医者がPC画面ばかり見て患者さんの顔を見ない、検査データだけ診て徒手検査などしない、この先生は私の何を見てるのか、と聞かされた時。昔、子供の頃にお世話になった先生は顔を見て即「こりゃいかん!」と言って、紹介状渡されて大学(付属)病院に行かされました。で、即入院。翌日担当医に「二日遅れたら命が危なかったかも」といわれたのを覚えています。そんな風に、顔を見てスパンッと判断できるようにならねばと常々思います。鍼灸師的に。それはさておき、顔を合わせて体に触る。たったこれだけのことなのに、ベテランがすると患者さんはホッと安心できる。これが医術の基本で奥義だと思います。これが東洋医学推しの理由その1。東洋医学の聖典のひとつ難経(なんぎょう)では、この基本を徹底的に磨き続けた先に至高があるとしています。(かなり曲解ですが、根拠は下記参照のこと)
おまけ
難経第六十一難で表記としては「望而知之.謂之神.(望んでこれを知る者を神という)」とあります。あくまで診察法を説明するところの一節でしかありませんが、見るだけで診断する(望診)のが最もすごい!(難しい)としています。なお、他の診察法と対比しながら「神・聖・工・巧」の4つに区分しています。あちらこちらでいろんな翻訳をみますが、個人的には「神様・聖人・工人・老巧」とみています。前2つが才能ありきのすごい人で、次が普通の職人→老練な達人という感じです。僕自身、ぱっと見でなんでもかんでもわかるまでには程遠いですが、定期的に来られる方なら顔見て歩き方見て、お互いに挨拶交わした段階で「なんかおかしいぞ?」「腰ひねったか?」「あ~この表情はパニック症状でたかぁ」などと時々なります。これを突き詰めることができれば…とは思いますが、なかなかですねぇ。